インタビュー

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やなせさんとわたし
Ⓒやなせたかし
徳久 衛
徳久 衛(とくひさ まもる)
南国市商工会/副会長
南国市中心市街地振興協議会/会長
ごめん町まちづくり委員会/副会長
ハガキでごめんなさい実行委員会/副委員長
やなせ先生が教えてくれた『ごめん』の先に待っているもの
Ⓒやなせたかし
やなせさんは小学2年生の頃から、18歳で東京高等工芸学校に入学するまでの期間を南国市後免町で過ごしていました。
大人になってからはほぼ東京で生活されていましたが、とあることをきっかけに60年以上の時を経て同町とやなせさんの交流がスタート。やなせさんからいただいたな多彩なアイデアを生かして町を元気にしようと、今も取り組みが続いています。
当初から取り組みに関わり、やなせさんとも交流があった徳久衛さんにお話をうかがいました。

徳久さんは後免町でどういった活動を行っていますか?

私は家業であるクリーニング店を営んでおりまして、商工会議所や青年会議所といった地域団体にも所属し、町おこしの事業に取り組んでいます。名刺にも書ききれないほどさまざまな団体やイベントの実行委員会などに属しておりますが、それらの活動の中にはやなせ先生からの発案で始まったものも多くあります。

やなせさんと後免町の交流はどのようなきっかけではじまりましたか?

やなせ先生は少年時代の約11年間を南国市後免町で過ごされていたそうで、高知県の中でも最も長く過ごされた場所となっています。
1980年代から90年代にかけて香美市や高知県は先生との交流をスタートされていましたが、南国市は交流の機会を持てていませんでした。
そうした中できっかけとなったのは2002年、先生が83歳の時です。私の息子が、先生の母校である後免野田小学校に通っていて、小学5年生の時に郷土の偉人について調べる学習が行われることになったんです。
校内に先生が育った柳瀬医院から移設されたライオンの石像がありまして、私の息子や同級生たちが「あの石像は何ですか?」という内容の手紙を先生に送ったそうなんです。その手紙をきっかけに先生が母校を訪問してくださることになり、南国市と先生の交流がスタートし、いろいろなプロジェクトが一気に動き出しました。
私自身が先生と直接交流させていただくようになったのは、先生発案の町おこしの一つである「ハガキでごめんなさい全国コンクール」の実行委員になったことが始まりです。

言いそびれた「ごめんなさい」を1枚のハガキに込めて送っていただくという、後免(ごめん)の町名を生かしたコンクールですね。印象的なエピソードはありますか?

最初にアイデアを聞いた時にユニークだなと思い、どうしてこのアイデアが生まれたのか先生に直接質問をしたんです。すると、先生は「僕は子どもの頃に『ごめん』という町に住んでいたんだよって言うと、東京のみんなは『またそんな冗談を言って』と笑ってくれる。うれしくって、その話をあちらこちらでしているんだ。後免町を知らない人に面白いと思ってもらえるなら、町名を町の魅力の一つとして活用すればいいんじゃないかと思って。人は誰でも、あのとき言っておけばよかったと思う、言えなかった『ごめんなさい』があるものだから、それを1枚のハガキにしたためてもらい、後免町に送ってもらおうと考えたんだ」というふうにおっしゃっていました。
コンクールは2003年にスタートして以来毎年開催しておりまして、2025年度で第22回を迎えます。作品は日本全国から毎年約1000通が集まり、メディアでも取り上げていただくことが増えてきまして、後免町を知っていただく絶好の機会となっています。
作品の中には思わず笑える「ごめんなさい」もあれば、涙が出るような「ごめんなさい」もあり、人生って奥深いものだと感じます。また、ご応募してくださった方からは「『ごめんなさい』を書いて心のつかえが取れました」といった感謝の言葉をいただくこともあり、このプロジェクトに深い意義を感じているところです。

感謝の言葉といえば、後免町にある土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の「後免町駅」は、やなせさんのご提案によって通称「ありがとう駅」と呼ばれています。どんな意味があったと思いますか?

やなせ先生はよく「『ごめんなさい』と『ありがとう』という二つの言葉はセットなんだ」とおっしゃっていました。「ごめんなさい」は単に謝罪の言葉でなく、言った本人も言われた相手も救われる。そして、その先には「ありがとう」が待っているという意味があったのではないかと思います。
後免町駅の駅舎には、ありがとう駅について書かれた先生の詩がありますので、そちらもぜひみなさんに読んでいただきたいですね。

後免町駅の前にはやなせさんデザインの「ごめん生姜地蔵」もあり、近くにある後免町商店街は「やなせたかしロード」と名付けられています。それらにまつわるエピソードはありますか?

実はどちらも私からやなせ先生にお願いして実現させていただいたものなんです。
「ごめん生姜地蔵」は、東京の巣鴨地蔵通り商店街にとげぬき地蔵があって、病気の“とげ”を抜いてもらえるからとたくさんの人が集まっていることをヒントに着想したものです。
先生に「『ごめんなさい』の町なので、心の“とげ”を抜いて、優しい気持ちにしてくれるお地蔵様を作りたいんですが…」とご相談したところ、当時、先生はショウガに惚れ込んでいたようで、南国市の特産品であるショウガをモチーフにした「ごめん生姜地蔵」を考案してくださいました。地蔵の他にも生姜音頭や、浴衣、手ぬぐいのデザインなどのアイデアもどんどん送っていただきまして、感謝と共に、先生は本当に人を楽しませることがお好きなんだなと思いました。
「やなせたかしロード」である後免町商店街は、現在、店の数は減っておりますが、かつては活気があり、先生も少年時代にはよく訪れて駄菓子屋で買い物をしていたそうです。先生の思い出の地であることを多くの方に伝えていけたらと思い、「やなせたかしロードと名付けさせてください」というお手紙をお送りしたところ、ご快諾いただけ、町のみんなで整備を行いました。
近くには、やなせ先生が少年時代に住んでいた柳瀬医院の跡地にある「やなせたかし・ごめん駅前公園」や、先生に関する展示を行っている「海洋堂SpaceFactoryなんこく」がありますし、2025年3月には「やなせライオン公園」という新しい公園もできる予定ですので、訪れた人に楽しい気持ちで歩いていただける場所にしていきたいです。
Ⓒやなせたかし/フレーベル館・NTV・TMS
やなせさんが少年時代に歩いた後免町商店街がやなせたかしロードと名付けられた。アンパンマンたちの石像もある。

最後に、これからの町おこしについての思いを教えてください。

やなせ先生は「キャラクターを生むのは私ですが、育てるのはあなたたちですよ」という言葉をよくおっしゃっていて、今でも心に残っています。それはキャラクターだけでなく、先生からいただいたアイデアも同じで、今後どう育てていけるかはこの町にいる自分たちにかかっていると思います。
やなせ先生が高知県内でもっとも長く過ごされた場所は南国市ですから、ゆかりの地としての誇りを胸に、先生の生き方や思いをしっかりと伝えていき、町の活性化にもつなげていきたいです。
Ⓒやなせたかし
やなせさんが徳久さんに送った、ごめん生姜地蔵のイメージイラスト。
【やなせたかしロード】
高知県南国市後免町
お問い合わせ/電話088-880-6560(南国市商工観光課)

【ハガキでごめんなさい全国コンクール】
お問い合わせ/電話088-855-3985(ハガキでごめんなさい実行委員会 事務局 南国市観光協会)
https://www.nankoku-kankou.jp/life/dtl.php?hdnKey=1067(外部サイトへ)
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