インタビュー

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やなせさんとわたし
岡本 篤志
岡本 篤志(おかもと あつし)
公益財団法人やなせたかし記念アンパンマンミュージアム振興財団/専務理事
社団法人日本漫画家協会所属
漫画家・イラストレーター・紙芝居作家
やなせ先生の想いをいつまでも伝えてくれるミュージアム
Ⓒやなせたかし
Ⓒやなせたかし/フレーベル館・NTV・TMS
やなせさんの故郷にある「香美市立やなせたかし記念館」は、やなせさんの作品を所蔵・展示する美術館です。ここにはどんな魅力があり、そして、先生は故郷とどんなふうに関わっていたのでしょうか?
やなせさんが香美市との交流をスタートした当時のことを知り、記念館の運営にも携わってきた作家・岡本篤志さんにお話をうかがいました。

岡本さんはどういった活動を行われていますか?

以前は旧香北町役場に勤めていました。現在は、やなせ先生の作品の保存管理・研究や、香美市立やなせたかし記念館の指定管理者である「公益財団法人やなせたかし記念アンパンマンミュージアム振興財団」の専務理事を務めております。また、「おかもとあつし」として香美市を拠点に漫画や紙芝居などの創作活動を行っております。
漫画や紙芝居などの創作活動をしている岡本さん。それゆえ、やなせさんへの想いもひとしお。

やなせさんとの関わりが始まったきっかけを教えてください。

私が幼いころ、テレビで先生を拝見したのが本当の意味での“最初の”出会いです。漫画の描き方を教える番組にご出演されていて、筆で絵をどんどん描いていく姿に見入っていたら、親が「この方は香北町出身なんだよ」と教えてくれました。そこから先生のことが気になっていました。
年月が経ち、先生と初めてお電話させていただいたのは1986年のことです。私が当時所属していた旧香北町(現香美市)の青年団で、高知市内にあるファッションビルのフロアを借りて町の特産物をPRしようという企画が持ち上がりました。ビルの担当者から「上階まで人を呼び集められる催しをしてくれませんか」と依頼されまして、いろいろなアイデアが挙がる中、私は「やなせ先生の絵本原画の展覧会をしよう」と提案したんです。
当時、町では、先生に「香北体育センタ−」の壁画のデザインをご依頼して交流をスタートさせていたところでした。私は先生との面識はなかったのですが、「言い出しっぺだから」ということで展覧会の交渉を行うことになり、先生に直接お電話を差し上げました。著名な作家さんですからきっと難しい交渉になるだろうと思っていたのですが、先生は「いいよ」とすんなりご快諾くださり、出版社さんを通じて原画を貸してくださることになったんです。
後日届いたのはアンパンマンの絵本の原画30点以上。それを見た瞬間、私は「これはすごい!」と興奮しました。ぜひ香北町内の人にも見てほしいと思いまして、高知市で2日間展示を行った後、すぐに町内の施設へ運び、小さな展覧会を行いました。原画をご覧になったみなさんには大変喜んでいただけましたが、一方で、限られた予算だったため先生に十分なお礼ができず、それが私の心に引っかかっていました。

やなせさんと初めてお会いしたのはいつですか?
その時のエピソードはありますか?

展覧会の翌年、私は町の教育委員会へ配属され、町内で開催する講演会の担当となりました。「これでお礼ができる!」と思い、一番に先生にお電話して講師のご依頼をしました。
当日は私自身がとても緊張していましたし、先生の周りにたくさんの人が集まっていましたので、お声がけすることすらできないまま講演会が始まったのですが…その内容が、本当にすごかったんです!
タイトルは「OHPミュージカル」。OHPは昔よく使われていたプロジェクターで、文字などを書いた透明シートに光を当てて投影する機械です。先生が即興で絵を描きながら語り歌うということで、私はタイミングに合わせて新しい透明シートを出していく役目をおおせつかったのですが、まるでアニメーションがその場で生まれているようなすごさと楽しさがあり、何度かシートを出し忘れてしまうくらい見とれてしまいました。
講演会終了後、先生に「シートを出し忘れてしまい、申し訳ございませんでした」と謝りに行ったのですが、その時に先生から「夢中になっても仕方ないよ。だって岡本くんは漫画家だから」と仰っていただいたんです。その言葉にさらに感動しました。私はもともと絵を描くのが好きで、町の広報誌への4コマ漫画連載や、住民へのお知らせ文書に小さなイラストを描いていたんです。それを先生はちゃんと見てくださっていたんだと、とてもうれしく思いました。

やなせさんと香美市香北町といえば「香美市立やなせたかし記念館」が思い浮かびますが、どういった経緯でつくられることになったのですか?

実は、講演会の中で記念館の設立につながるようなお話がありました。
先生は「僕は漫画の美術館をつくりたいんだ。手塚治虫さんは記念館ができたけど、お亡くなりになった後のことで悔しい思いをしているだろう。僕は元気なうちに漫画の美術館をつくって、いろんなことをやってみたい」とおっしゃっていたんです。
その後、香北町に文化施設をつくる構想が出まして、町民のみなさんにどんな施設にしたいかご意見を聞いたところ「やなせ先生の原画を飾るコーナーがほしい」という声が挙がり、それに多くの町民が賛同しました。
それで町長が先生に打診をしたところ、「それはありがたい。僕の全作品を寄贈しましょう」というふうにおっしゃってくださったそうで、そうなると町としては文化施設の1コーナーだけじゃダメだとなり、先生の記念館にしようという話にまとまっていきました。
その頃、私は別の課にいましたので建設計画そのものに深く関わってはいませんが、開館に先立って記念館を運営する財団法人が設立されることになり、その事務局長の任命を受けて記念館に関わっていくようになりました。

記念館が開館した当時のことで、印象に残っているエピソードはありますか?

先生が大変喜んでおられたことが心に残っています。そして、やりたいことのアイデアがどんどん、どんどん生まれていました。先生自らグッズも作られて、そのいくつかは今もミュージアムショップで販売されています。
それと、来館した子ども達が喜んでいた姿も印象的でした。今は展示物が多く賑やかな雰囲気ですが、開館当時はシンプルな空間だったんですよ。それでも子ども達はいきいきとした表情をしていて、子ども達の“楽しむ力”っていうのはすごいなと思いました。
館内のエントランスの床に「AtoZ」という展示があるのですが、子ども達が床にへばりつくように夢中になっている光景を見て、先生も「いいね!すごいね!」とうれしそうに笑っていたことも印象に残っています。

改めて、やなせたかし記念館はどういったところが魅力だと思いますか?

やなせ先生の想いをいつまでも伝えてくれる場所だと思います。
これは私が感じたことですが、先生は作家が一生懸命描いた“本物”を見てほしいという想いがあったのではないかと思います。額縁に入った原画にしても、遊び心のある展示にしても、どれもお客さんに向けて先生が真剣に描いたものです。ご来館された方には、先生の想いを想像しながらぜひじっくりとご覧いただきたいですね。

やなせ先生や記念館のことをより深く知りたい方のための「観光ガイド」も人気となっています。岡本さんも観光ガイドとして活動されていますが、どんなことを伝えていきたいですか?

今はスマホで調べればたくさんの情報が出てきますが、地元のガイドしか知り得ない情報や物語もたくさんあります。私が記念館をガイドする際には、先生と故郷・香美市香北町の関わりや、先生との思い出話も交えながらご案内していきたいと思います。そうしたエピソードを通して、より多くのみなさんに香美市は素敵な町だと思っていただけるとうれしいですね。
館内をガイドする際には、やなせさんと香北町の関わりや、やなせさんとの思い出話も交えながら案内したいと話す。
【香美市立やなせたかし記念館】
高知県香美市美良布1224-2
お問い合わせ/電話0887-59-2300
https://anpanman-museum.net(外部サイトへ)

【香美市観光ガイドのお問い合わせ】
一般社団法人 香美市観光協会
高知県香美市土佐山田町東本町1-2-3
電話0887-52-8560(月〜金曜 9時〜18時※祝日は休み)
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