恐ろしくも美しい

絵金蔵

幕末の天才絵師金蔵・通称絵金の魅力が詰まった美術館、「絵金蔵」。それは車だと2分ほどで通り過ぎてしまう小さな町・香南市赤岡町にあります。

幕末、絵金は赤岡を拠点として多くの絵を描き、その代表作である歌舞伎や浄瑠璃を題材とした芝居絵屏風の数々は、年に一度お祭りの夜に商家の軒先に立てられ、祭礼の道具・魔よけの絵として庶民に愛され受け継がれてきました。それから約150年に渡って町内各区で大切に保管されてきた赤岡の芝居絵屏風ですが、環境の変化などにより、これまで通りの方法で保管することへの限界が感じられるようになっていました。また赤岡の絵金文化と芝居絵屏風を後世へ末永く残していくための拠点となる施設の必要性が訴えられ、それらを担う「絵金文化発信の中枢」として「絵金蔵」がつくられました。建物は、使われなくなっていた昭和初期の米蔵を改装したもので、米の蔵から絵金の蔵へとの住民の思いから「絵金蔵」と名付けられました。約10年に渡る赤岡町の住民たちのワークショップが実を結び、平成17年の2月11日に絵金蔵は開館となりました。

絵金の魅力は絵の美しさだけではなく、その半生にもあります。髪結いの子として現在の高知市はりまや町に生まれた金蔵は、18歳の時に土佐藩の駕籠かきという名目で江戸に上ると、土佐藩の御用絵師であった前村洞和に師事します。通常10年かかるとされる狩野派の修業をわずか3年で終えて帰高した金蔵は、その才能を認められ土佐藩家老の御用絵師となりますが、贋作事件に巻き込まれ職を失ってしまいます。その後の約10年の間、金蔵がどこで何をしていたのかはいまだに謎のままとなっており、各地で歌舞伎の絵看板や絵馬、幟などを描いていたとする説や、中国に旅をしていたなどという説まであります。空白の年月を経ておばを頼りに赤岡の町にたどり着いた金蔵は、御用絵師の肩書を捨て、庶民に愛される絵師「絵金」として活躍しました。

県下各地に多数の作品を残した絵金ですが、赤岡には23枚の芝居絵屏風が現存しています。絵金の芝居絵屏風には血しぶきが飛び散るなど凄惨なシーンも多く描かれており、「おどろおどろしい」という言葉で表現されることがあります。土佐には死んだ者たちが怨霊となって海から巷に戻り、災いをもたらすという土俗信仰があり、赤岡の人々は芝居絵屏風のもつ赤(通称、血赤)が邪気を祓うと考え、これらを家の前に外向きに飾りました。当時から現代にその文化を伝えるのが、毎年7月14日・15日に行われる須留田八幡宮の神祭です。この祭りは江戸時代から続く歴史を持ち、氏子の家々の前に蝋燭の灯に照らされた芝居絵屏風が立ち並べられ、闇の中に妖しく浮かび上がります。

絵金が極彩色の絵の具と圧倒的な筆遣いで描いた六尺四方、二曲一隻の芝居絵屏風。その修羅を描いた芝居絵は動き出さんばかりの迫力で、見る者の心をつかんで離しません。絵金蔵にはこの須留田八幡宮の神祭を再現した展示室「闇と絵金」があります。絵金の芝居絵屏風は、闇の中、ろうそくの灯で照らし出されてこそ圧倒的な存在感と異彩を放つと言われており、絵金蔵では祭りの夜に倣い、展示室を薄暗くして芝居絵屏風(レプリカ)を並べています。部屋に入ると聞こえてくるのは、赤岡海岸の波の音。提灯を持ってじっくり眺めることができるため、祭りの雰囲気を味わえる仕掛けとなっています。また、絵金が描いた本物2点を小さな穴からのぞき見ることができる「蔵の穴」など、体験型の展示もこの施設の魅力となっています。平成24年7月、絵金生誕200年となった年には、新たに展示ケースを設置し、県下に広がる様々な絵金作品や祭礼文化の魅力をじっくり味わっていただける企画展示のコーナーもできています。

さらに、絵金の謎に包まれた生涯を数々のエピソードとともにたどっていく展示室「絵金百話」では、御用絵師の職を解かれた絵金がこの町に辿り着き、酒蔵をアトリエとして暮らしていた頃の赤岡の町を、キルトやジオラマで再現しています。狩野派時代の作品や軽妙なスケッチなども数多く紹介されており、俗悪にして絢爛といわれる鮮やかな芝居絵屏風とは全く異なる絵金の魅力を存分に感じていただくことができます。

◆平成30年4月からは、さらに多くのお客様にご満足いただけるよう、多言語化を目指した館内上映の映像の字幕化や、キャプション・説明書き等にQRコードを取り付け、タブレット端末で読み取ることにより、英語・韓国語・中国語(簡体字・繁体字)でも楽しんでいただけます。

パンフレットをお取り寄せ(無料)言語をクリックするとカートに入ります。

絵金蔵

幕末の絵師「絵金」の絵を収蔵しており、地元の方や絵金文化を愛する人たちの思いが詰まった絵金蔵。そんなあったかい絵金蔵のパンフレットはこちら♪

詳細情報

アクセス